東京高等裁判所 昭和33年(行ナ)40号 判決 1961年4月27日
原告 エタブリスマン・ネイルピツク
被告 特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
本判決に対する上訴の附加期間を九〇日と定める。
事実
原告訴訟代理人は「昭和三二年抗告審判第四八三号事件につき、昭和三三年三月二七日に特許庁のした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として要旨次のような主張をした。
一、原告は昭和二八年四月三〇日特許庁に対して「動水の作用を受ける保護構築物用加工ブロツクに関する改良」についての特許出願をし、昭和二八年特許願第七、七二〇号事件として係属したところ、昭和三一年一二月二四日その拒絶査定を受けた。そこで原告は昭和三二年三月二〇日特許庁に右拒絶査定に対する抗告審判請求をし、同年抗告審判第四八三号事件として係属したが、同庁は昭和三三年三月二七日右請求は成り立たない旨の審決をし、その審決書の謄本は同年四月一七日原告に送達された。
二、原審決の理由とするところは、「本願発明の要旨は動水の作用を受ける構築物にあるものと認めるが、原査定の拒絶理由で引用されたフランス国特許第一、〇一七、五四六号明細書に本件特許出願の発明と同一のものが容易に実施できる程度に記載され、且つ右明細書は昭和二八年四月二七日に特許庁資料館に受入れられたものであるから本願出願前国内に頒布された刊行物と認むべきであり、従つて本願発明は当時施行されていた特許法(大正一〇年法律第九六号、以下単に旧特許法という)第四条第二号の規定によつて同法第一条の特許要件を具備しないものとする」というのである。
三、しかし原審決は次の理由によつて違法であり、取消を免れない。
(一)、右審決にいうフランス国特許第一、〇一七、五四六号明細書記載の発明は、原告が本件出願と同一のものについてフランス国において西暦一、九五〇年三月一〇日に出願して特許されたもので、右特許明細書は同一、九五二年一二月一一日同国で公布されたものである。すなわち同一出願にかかるフランス国特許明細書の刊行物が本件特許出願日の三日前である同一、九五三年(昭和二八年)四月二七日に特許庁資料館に受入れられていたというのであり、原告も右刊行物が右の日に特許庁資料館に到着したことはこれを認める。
(二)、しかし旧特許法第四条第二号にいう刊行物の頒布とは、該刊行物が一般公衆の閲覧に供し得る状態におかれた場合を指すものと解すべきであるが、前記の刊行物到着当時の特許庁資料館においては、外国公報類は到着の日から一週間ないし一ケ月程経て漸く梱包が解かれるのが実情であり、本件における前記の刊行物も、少くとも本件の出願日である昭和二八年四月三〇日の以前には未だ梱包のまま解包せられていなかつたものであつて、未だその受入整理の手続を終つていなかつたものである。従つて原審決が昭和二八年四月二七日に右の刊行物が特許庁資料館に受入れられたというのも、単にこれが同館に到着した事実を指しているにすぎないものと見るの外はないが、右到着の事実だけで、その解包も受入整理も終らない段階において、右の刊行物が一般の閲覧に供し得る状態になつたものということのできないことは明らかである。従つて本件出願当時において右の刊行物が国内に頒布せられていたということはできない筋合であるから、右刊行物の頒布のあつたことを理由として、本願発明を以つて旧特許法第一条の特許要件を具備しないものとした原審決は明らかに失当である。
(三)、被告は外国公報類の梱包をまだ解いていないときでも希望によつて一般閲覧に供した旨主張するが、これは所詮被告の強弁にすぎず、少くとも外国公報類は特許番号その他のリストが整理公表されない限り、一般公衆には閲覧の動機すら与えられていないのであるから、右のような梱包のままの状態において、尚且つこれが一般の閲覧し得る状態にあるものとは到底認め得ないところである。
被告指定代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、答弁として要旨次のような主張をした。
一、原告主張の一、二の事実及びフランス国特許第一、〇一七、五四六号明細書記載の発明が原告主張のものにつき原告主張のようにしてフランス国において特許されて、その特許明細書が同国において原告主張の日に公布されたことはこれを認める。しかしその余の原告主張事実はこれを争う。
二、(一)、特許庁はその附属機関として万国工業所有権資料館(以下単に資料館という)を置く。右資料館は、わが国が西暦一、八九九年(明治三二年)七月一五日以来加入している、いわゆる工業所有権保護に関するパリ同盟条約第一二条第一項に規定する「発明特許等を公衆に知らしむるための中央陳列所」に相当するものであり、その設置の趣旨並びに目的は、発明等に関する公報等を収集し、陳列し、及びこれらを閲覧させ、又は観覧させること等である。(通商産業省設置法第四六条)。そして右同盟条約の各同盟国は発明特許等を公衆に知らしむる目的のために互に特許公報類等を交換しており、わが特許庁附属の資料館は右目的のために外国から送られて来る特許公報類を受入れ、これを公衆の閲覧に供している。
(二)、本件原審決引用の仏特許明細表もフランス国より右の趣旨を以つてわが国に送られ、特許庁資料館に昭和二八年四月二七日に到着した。右明細表は同国において一、九五二年一二月一一日に発行し頒布せられた刊行物であつて、該刊行物は他の同国特許明細書物と共に一個の梱包に納められ、同国特許局より船便を以つて普通小包により郵送されて来たものである。そして該小包は昭和二八年四月二七日東京中央郵便局員により特許庁総務課(当時は秘書課)に配達せられ、即日資料館公報係に回付せられ、同係においてこれを受領した。
(三)、旧特許法第四条第二号所定の刊行物の頒布とは、発行者の手を離れて公然と第三者の手に刊行物が入手されたか又はされる状態になつたことを指すものと解せられる。発行された刊行物の内容が何人かによつて読まれたとか、読まれる状態におかれていなければ右にいう頒布とならないという解釈は誤りである。従つて原審決引用の仏特許明細書も、これがわが国領海に入つたとき或いは少くとも特許庁資料館に到着したときにおいて、右刊行物は発行者の手を離れて公然と第三者の手に入手されたか、又はされる状態になつたものというべきであり、このときにおいて前記特許法の規定にいう頒布があつたものと認めるのが相当である。故に前記仏特許明細書はおそくとも資料館到着の昭和二八年四月二七日において国内に頒布せられた刊行物というべきである。
(四)、仮りに右解釈が誤りであり、前記規定にいう頒布となるためには、刊行物が一般公衆の閲覧に供し得る状態におかれることが必要であるとしても、本件の仏特許明細書は前記の日において同様その頒布があつたものといえる。
資料館における外国特許公報類受入れの実情は、特許庁に小包等でそれらのものが来るとその日に附属機関である資料館にこれを回付し、同館公報係においてこれを受領した上直ちにその小包類の包装を解いて、各公報類の一部毎にその一頁上部に受入日附のある受入印を押すのが普通であるが、特別の場合直ちにその解包ができないときも少くともその包装紙の表面に同様の押印をする。そして公報類の一部毎に受入印を押している場合は勿論であるが、解包前の場合でも一般公衆の閲覧希望者があれば、例えば仏特許明細書の最新のものを閲覧したい旨の希望者があれば、直ちにその小包の包装を解いて閲覧希望のものを取出し、これに受入印を押した上で閲覧に供する。これが本件仏特許明細書到着当時の実情であつて、右特許明細書もこれと同様の取扱を受けたものであり、右明細書到着の日である昭和二八年四月二七日において既に右の意味において一般公衆の閲覧に供し得る状態にあつたものである。従つて頒布についての法律解釈を仮りに原告主張の通りにするとしても、本件仏特許明細書は右の日において既にその頒布があつたものというべきである。
(五)、右いずれの理由からしても本件原告の特許出願にかかる発明は旧特許法第四条第二号により同法第一条の特許要件を具備しないものというべきであるから、これと同趣旨に出た原審決には何等の違法もなく、その取消を求める原告の請求は失当である。
(証拠省略)
理由
一、特許庁における手続、原審決の理由等に関する原告主張の一、二の事実は当事者間の争いのないところであり、原審決引用のフランス国特許第一、〇一七、五四六号明細書記載の発明は、原告が本件特許出願と同一のものについて同国において特許出願をしてその特許を得たものであり、右明細書が本件特許出願の三日前である昭和二八年四月二七日に特許庁資料館に到着したこともまた当事者間に争いがなく、右資料館が被告主張のような公開立前のものであることも原告の明かに争わないところである。
二、そこで本件唯一の争点である、右引用の特許明細書を以つて本件特許出願前国内に頒布せられた刊行物というべきか否かについて判断する。
(一)、まず被告は、旧特許法第四条第二号所定の刊行物の頒布とは、発行者の手を離れて公然と第三者の手に刊行物が入手されたか又はされる状態になつたことを指すものと解すべきことを前提として、引用明細書がわが国領海に入たとき、又少くとも特許庁資料館に到着したときに右明細書の頒布があつたものと主張する。しかし右第四条第二号に定める刊行物の頒布は、同条第一号所定の公知と同視すべきものとして新規性喪失の原因とせられたものと解すべきであるから、右規定にいう頒布というがためには、刊行物がわが国内において一般公衆の閲覧し得る状態におかれることを要するものと解するのが相当である。従つて右明細書が特許庁資料館に到着したとき又はわが国領海に入つたとき、或いはこれを以つて、被告の主張する刊行物が発行者の手を離れて公然と第三者の手に入手せられ又はされる状態ができたものといい得るとしても、このことだけで右刊行物のわが国における頒布があつたものとは認め難いところであり、右の頒布があつたか否かは、右の事実によつて右刊行物がわが国において一般公衆の閲覧可能の状態となつたか否かを検討しで決すべきことである。この理は、本件仏特許明細書がフランス国特許局からわが国特許庁資料館に公開の目的を以つて送付せられ、また資料館が前記のような公開立前のものであるとしても何等変りはないと考えられるところであるから、右事実だけですでにわが国内における刊行物の頒布があつたとの被告の主張は失当であつて到底排斥を免れない。
(二)、しかし成立に争いのない乙第一号証に証人小菅乙也、大江和雄、川野はるの各証言を総合すれば、本件仏特許明細書が特許庁資料館に到着した当時においては、右資料館には戦中戦後の外国特許明細書類が同時に多数到着していたため、その受入手続は相当輻輳していた状態であり、到着した明細書類を到着当日直ちにその全部の受入整理(この受入整理は、まずこれらを入れた梱包を解いて各明細書類を出し、各明細書毎にその一頁上部に到着した日を受入日附とする受入印を押し、分類毎に番号順に整理し、受入整理簿に記入の上百件ないし二百件毎にまとめて製本することを以つて終る)完了することは六ケしい状態であつたが、少くともその多くのものは梱包を解いてその一々のものに受入印を押すことだけはしており、特別多忙で梱包を解くいとまもないような場合でも、その包装紙の表面に前記と同様な受入印をおしており、後日解包の際その一々に右と同一の受入印を押して整理をしていたものであること、そして右のような整理が未完了の場合でも、明細書類の一々に受入印のある場合は勿論のこと、未解包で梱包の包装紙にだけしか受入印のないものも、特許庁の職員その他一般からの閲覧申出があれば、直ちに解包の上所望の明細書類を取出してこれに包装紙上の受入印と同一の受入印を押した上でその閲覧に供していたものであること、本件の仏特許明細書について、本願前現実にその閲覧がせられた事実はなかつたようであるが、右明細書も他の一般の場合と同様少くともその梱包の包装紙上には到達当日である昭和二八年四月二七日に、同日を受入日附とする受入印がおされ、若し何人からかの閲覧申請があれば、前記の一般の場合と同様これをその閲覧に供し得る状態にせられていたものであることが認められる。証人小菅乙也の証言中には、昭和三一年六月頃同証人(当時の資料館長)はその日に入つたものは梱包のままでも見られる状態にしておくよう係長に指示した旨の部分があり、右証言は右の頃以前においては未解包のものはまだ一般の閲覧に供していなかつた趣旨かととられぬでもないが、右証人は前記の証言に続いて、少くとも昭和三一年六月以降は何かの事情で公報のあることが判り請求する者があれば必ず受入印を押し閲覧させることにしていた旨を証言しており、この証言の趣旨からすれば、同証人の前記証言も、右の頃以前における未解包明細書の一般閲覧を全然否定した趣旨ともとれないだけでなく、当時の特許庁資料館において外国公報係として現実その受入手続をしていた川野はる及びその補助をしていた大江和雄(この事実は同人等の各証言で明らかである)はいずれも未解包明細書類の閲覧について前認定通りの証言をするのであるから、右両名の証言を採用して前記の通りの認定をするのが相当である。なお証人大江和雄の証言中には前記の認定と異なる部分もないではないが採用できないところであり、他に右認定を左右すべき資料はない。
(三)、原告は、外国公報類については特許番号その他のリストが整理公表されない限り、一般公衆には閲覧の動機すら与えられていないのであるから、梱包を解かない状態で尚且つこれが一般の閲覧し得る状態にあるものとは到底認めることはできないと主張する。そして成立に争いのない甲第三、四号証の各一、二によれば、特許庁発行の特許庁公報においては、昭和二八年六月一六日の発行のものにはまだ本件仏特許明細書の記載がなく、同月二〇日発行のものに至つて初めてその整理が終了し閲覧可能の旨の記載がせられたものであり、特許庁内部において外国公報の到着を知らせるいわゆる「お知らせ」においても同年五月六日の「お知らせ」によつて初めて右明細書到着の旨が知らされたにすぎないことが認められる。しかし交通機関の発達した現時(本件明細書の到着した昭和二八年四月の当時)においては、外国において発行頒布された特許明細書等についての情報が、数週間ないし時には数日のうちにわが国内に伝わる可能性のあることは十分これを考慮するを要するとともに、時には被告の主張するような、仏特許明細書の最新のものというような趣旨でその閲覧を求める可能性もないではないと考えられるところであるから、閲覧申請に対する受附側である資料館の態勢が前認定の通りである以上は、右認定の状態を以て一般公衆の閲覧可能の状態と認めるに何等の妨げはないと考えられ、原告の右主張はこれを採用し難いところである。
(四)、以上の理由によつて本件原審決引用の仏特許明細書は、その資料館到着の日である昭和二八年四月二七日の当日において既にわが国において一般公衆の閲覧可能の状態にあつたものと判断すべきであり、従つて本件特許出願にかかる発明については、その出願前既にわが国において頒布せられた刊行物に容易に実施することを得べき程度にその記載がせられていたものと判断するの外はなく、右と同趣旨に出て本件特許出願を拒絶すべきものとした原審決は相当であつて、その取消を求める原告の本訴請求は失当である。
三、よつて原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、上訴の附加期間について同法第一五八条第二項を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 原増司 山下朝一 多田貞治)